「映画の未来を拓(ひら)き、世界へ羽ばたこうとする、若く新しい才能」に贈られる大島渚賞。ぴあフィルムフェスティバル(PFF)が主催し、2020年に始まった。第6回の今年は「ナミビアの砂漠」の山中瑶子監督が受賞している。第1回から審査員を務める黒沢清監督に、大島賞の選考から見えてきた日本映画の現在地について聞いた。
「『大島渚に匹敵する監督』が基準です、と言っちゃったものだから、めちゃめちゃハードルが上がりました」と黒沢監督。第2回で早くも「該当者なし」という窮地に追い込まれた。「大島渚そのものズバリはいないかもしれない。しかし片鱗(へんりん)のある人を、意地でも探そうと思っています」
大島監督は1954年、松竹に入社。「青春残酷物語」「日本の夜と霧」など社会性あふれる斬新な作品で吉田喜重、篠田正浩らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれた。退社後の70年代後半から「愛のコリーダ」や「戦場のメリークリスマス」で世界的な評価を得た。
PFFと大島監督の出会いはその頃だ。ぴあの矢内廣社長が77年、自主映画のコンペであるPFFを立ち上げた。当時、斜陽に陥った映画会社の撮影所が人材育成の機能を果たせなくなり、代わってPFFが監督を目指す若者の登竜門になった。大島監督はその初期から審査員を務め、若い才能にエールを送ってきた。
第1回大島賞の審査員は黒沢監督、PFFの荒木啓子ディレクターと音楽家の坂本龍一の3人。受賞した「セノーテ」の小田香監督は、事前の候補者リストになく、坂本が名前を挙げて強く推すという異例の旗揚げとなった。黒沢監督は言う。「その後も、僕が推して受賞した監督を、坂本さんが『全く駄目』と否定した回もあり、なかなかハードな賞になっています」
若い監督が向き合えていない二つのこと
坂本が2023年に死去。現…